2023年9月29日(旧暦八月十五日) 空霽(はれ)たれば 元禄二年八月十六日(1689年9月29日)

「汐染むるますほの小貝拾ふとて色の濱とはいふにやあらん」と西行が詠んだ色(種)の浜で月見をするため、芭蕉は敦賀に来た可能性があります。「ますほ」は真蘇芳あるいは真赭で赤色のことだそうです。

「十六日、空霽たれば、ますほの小貝ひろはんと、種(いろ)の浜に舟を走らす。海上七里あり。天屋(てんや)何某と云もの、破籠(わりご)・小竹筒(ささえ)などこまやかにしたゝめさせ、僕あまた舟にとりのせて、追風時のまに吹着ぬ。」海上七里となっていますが、曽良は「海上四里」と書き残しています。芭蕉が往復の距離を勘違いしたものか、あるいは遠さを強調するための脚色かもしれません。

芭蕉一行は色の浜の本隆寺で、天屋用意の料理・酒・茶をいただいたようです。

「夕ぐれのさびしさ、感に堪えたり。/ 寂しさや須磨*にかちたる浜の秋 / 波の間や小貝にまじる萩の塵 / 其日のあらまし、等栽に筆をとらせて寺に残す。」

左の写真の向こうに見える二つの小島は水島という無人島で、7~8月しか渡し舟が出ていません。色の浜の海もきれいですが、地元の方に言わせると水島の海は比べ物にならないくらいきれいだそうで、「それだけが取り柄みたいな所です」って。

この芭蕉と同じ日(新暦)に、私は色の浜に泊り「夕ぐれのさびしさ」を味わおうとしましたが、今年はちょうど名月、空もよく晴れ、月を待つ気持ちの方が勝ってしまいました。

芭蕉も、「衣着て小貝拾わんいろの月」と詠んでいますので、十六夜の月を見たものと思います。

*「須磨」に比較して秋の寂しさは色の浜が勝っているとしています。山中温泉では「其功有間に次と云」と、有馬が勝っているとの判断です。那谷寺では「石山の石より白し」と詠んでいます。この「石山」については諸説ありますが、やはり石山寺を指していると私は思います。北陸と畿内の名所を較べ、この色の浜で北陸の勝ちと芭蕉は判じたという遊びだとも読めます。なお、「白し」は色彩的なこともあるでしょうが、やはり秋の寂しい風情の比較なのでしょう。

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