2023年9月27日(旧暦八月十三日) 出雲ヤ弥市良 元禄二年八月十四日(1689年9月27日)

「夕ぐれ」芭蕉は敦賀の唐人橋の宿、出雲屋に到着しました。現在のヨーロッパ軒本店南側にありました。

曽良旅日記十日の条に、「出雲ヤ弥市良へ尋。隣也。金子壱両、翁ヘ渡可く之旨申頼。」とあり、曽良は芭蕉に一両渡してもらうよう宿屋に預けています。遅くとも山中温泉で別れる時には、敦賀で芭蕉は出雲屋に泊ることが決定されていたということになります。

どういうわけか曽良は、出雲屋ではなく隣の「大和ヤ九兵へ」に宿泊していました。

「その夜、月殊晴たり。『あすの夜もかくあるべきにや』といへば、『越路の習ひ、猶明夜の陰晴図りがたし』」と、芭蕉は出雲屋の主人弥市良さんに言われ、「酒すゝめられて、けいの明神に夜参す。(略) 社頭さびて、松の木の間に月のもり入たる、おまへの白砂霜を敷るがごとし。往昔(そのかみ)、遊行二世の上人、大願発起の事ありて、みづから草を刈、土石を荷ひ、泥渟をかはかせて、参詣往来の煩なし。古例今にたえず、神前に真砂を荷ひ給ふ。『これを遊行の砂持と申侍る』と、亭主のかたりける。/ 月清し遊行のもてる砂の上」(おくのほそ道)

曽良はこの日大垣に到着しています。「如行を尋、留守。息、止テ宿ス。夜ニ入、月見シテアリク。」と旅日記に書き残しています。

私は28日(旧八月十四日)に敦賀に到着、芭蕉と同じ十四夜の月を気比神宮で見るつもりでしたが、「陰晴図りがたし」15時過ぎから大雨となり空しく宿で過ごしました。

じつは今年5月、「古例今にたえず」新たに就任された第75代時宗法主により「お砂持ち」行事が、18年ぶりに営まれたとしてあっただけに残念でした。

翌朝早く、気比神宮にお砂持ちの痕跡を探しに行きましたが、なにも見つかりませんでした…

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