2023年9月26日(旧暦八月十二日) 福井から今庄宿 元禄二年八月十三日(1689年9月26日)

「その家に二夜とまりて、名月はつるがのみなととたび立。等栽も共に送らんと、裾おかしうからげて、路の枝折とうかれ立。」

芭蕉は等栽を供にして福井を発ちました。

「あさむづの橋をわたりて、玉江の蘆は穂に出にけり。」

福井から北国街道を行きますと玉江橋、朝六つ橋の順で、その間一里ほどありますが、芭蕉は逆に書いています。古の玉江の橋がどこかは当時より曖昧だったからかもしれませんし、朝福井を発ってやはり早いうちに「朝六つの橋」を渡る方が、そこで詠んだ句と整合が取れると考えての脚色なのかもしれません。「浅水のはしを渡る時、俗あさうづといふ。清少納言の橋はと有一条*、あさむづのとかける所也」と前書のある「あさむつや月見の旅の明ばなれ」の句が残されています。なお、「浅水」は現在「あそうず」と呼ばれています。

「鶯の関を過て、湯尾峠を越れば、燧が城」

柴田勝家が大改修整備したという湯尾(ゆのお)峠を越えれば、すぐ今も宿場町の面影をよく残している今庄宿に到ります。

峠は緩やかで難所ではありませんでした。芭蕉は「湯尾 月に名**を包みかねてやいもの神」と詠んでおり、当時峠の頂上に疱瘡(いも)の神を祀る孫嫡子神社があり、お札を売る茶店が繁盛していたそうです。現在句碑が建っています。

木曽義仲の燧が城は、宿の西側の小高い燧山の上にあり ました。ここでも芭蕉は「燧山 義仲の寝覚の山か月悲し」と詠んでいます。私は27日に福井から今庄宿を歩いたのですけど、朝から曇で宿場に着く手前から雨に遭い、月を見ることはできませんでした。

写真上:現在の朝六つ橋。なんの風情もありません。写真中:湯尾峠、義仲はここにも陣を置いていました。写真下:今庄宿。向こうに見える山が城があった燧山です。

*枕草子第六十一段、「橋はあさむづの橋。ながらの橋。あまびこの橋。浜名の橋。ひとつ橋。うたた寝の橋。佐野の船橋。堀江の橋。かささぎの橋。山すげの橋。をつの浮橋。一すじ渡したる棚橋、心せばけれど、名を聞くにをかしきなり。」 **中秋の名月は別名「芋名月」とも呼ばれます。


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