2023年9月25日(旧暦八月十一日) 四十八艘の舟橋 元禄二年八月十二日(1689年9月25日)
芭蕉は等栽の家に二泊しますので、この日は周辺の名所見物でもしてゆっくりしたのでしょう。曽良旅日記の八日の条に「森岡ヲ日ノ出ニ立テ、舟橋ヲ渡」とあります。「舟橋」は北国街道稲多宿(森田宿)から九頭竜川を福井に向けて渡る橋です。朝倉氏を滅ぼし北ノ庄の城主となった柴田勝家が、渡しだった所に四十八艘の船を刀狩りで集めた刀剣を鋳つぶした鉄鎖で緊結して作った橋だそうで、明治になるまで使われていました。芭蕉は松岡から勝山街道を通り福井に入りましたので、舟橋は通っていませんが、一里余りのですから見物に行ったかもしれません。
また、歌枕の玉江橋まで半里ほどですので、月見に行ったかもしれません。「月見せよ玉江の蘆を刈ぬ先」「名月の見所問ん旅寝せむ」という句を残しています。福井滞在中に、敦賀で月見をすることを決定したものと思われます。
左の写真は現在の玉江橋ですが、元は今の「たまえにのはし」が架かる所だったそうです。
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