2023年9月24日(旧暦八月十日) あやしの小家 元禄二年八月十一日(1689年9月24日)

芭蕉は「夕餉をしたゝめ」たあと、福井に古い知己である等栽を訪ねます。松岡から福井は近いとはいえ3里弱の道のりです。等栽宅は今の左内公園辺りにあったといわれます。15時半くらいに出発したとしてもこの時期日没迄に到着することは無理でしょう。馬を使ったのかもしれません。

左写真の橋が九十九橋、正面が愛宕山でその麓に今の左内公園があります。橋手前が福井市街地に当たります。

「爰に等栽と云古き隠士有。いづれの年にか、江戸に来りて予を尋。遥十とせ余り也。いかに老さらぼひて有にやと人に尋侍れば、いまだ存命して、そこそこと教ゆ。市中ひそかに引入て、あやしの小家に、夕貌・へちまのはえかゝりて、鶏頭・はゝ木々に戸ぼそをかくす。さては、此うちにこそと門を叩ば、侘しげなる女の出て、『いづくよりわたり給ふ道心の御坊にや。あるじは此あたり何がしと云ふものゝ方に行ぬ。もし用あらば尋給へ』といふ」(おくのほそ道)

等栽の家は、福井城下を通り九十九橋を渡った愛宕山(今の足羽(あすわ)山)の麓、中心市街地から少し離れた所にありました。愛宕山は、北ノ庄城の柴田勝家を攻め滅ぼした合戦で秀吉が本陣を置いたところです。この時、勝家と共にお市の方が自刃しました。ご承知のようにお市の方は、信長の妹で、1573年小谷城の戦いで秀吉が中核の信長軍攻め滅ぼされた浅井長政の正室だった人で、初、江、茶々三姉妹の母親です。三姉妹はこの愛宕山の本陣で秀吉に引き渡されたそうです。

左の写真は朝倉氏創建で柴田勝家の菩提寺である西光寺にある勝家・お市の方のお墓です。この墓には養子であった勝家の姉の子勝豊と実子と言われる作次郎が合祀されていると説明書きにあります。勝豊は元丸岡城主で、清洲会議のあと長浜城主になった武将です。

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