2023年9月23日(旧暦八月九日) 扇引きさく 元禄二年八月十日(1689年9月23日)
昨日、九頭竜川は釣り人で賑わっていました。九日は曽良旅日記では今庄は快晴でしたので、たぶん芭蕉もいい天気のなか松岡に向かったものと思われます。
この時期、芭蕉も道すがら鮎漁を見た事でしょう。もしかしたら一昨夜は丸岡で、北枝と芭蕉も鮎を賞味したかもしれません。しかし昨夜の宿は、禅林の天竜寺ですから「不許入葷酒」*です。
十日、敦賀は快晴だったようですから、おそらく松岡もいい天気でした。
「金沢の北枝といふもの、かりそめに見送りて此処までしたひ来る。所々の風景過さず思ひつづけて、折節あはれなる作意**など聞ゆ。今既別に望みて、/ 物書て扇引さく余波(なごり)哉***」とおくのほそ道本文にあります。七月十五日金沢に入って以来ひと月近く芭蕉に付き従った北枝と、松岡天竜寺で別れることになります。
北枝はこの日****の朝早く、朝霧の中北芭蕉と別れて松岡を発ちました。
北枝は芭蕉のおくのほそ道の旅での大きな成果でした。北枝は加賀蕉門の中心人物として活躍していくことになります。
* 天竜寺の門前正面に黒龍酒造石田屋があります。最も創業は江戸時代後期とのことですから、芭蕉が尋ねた時には黒龍はなかったわけですけど。 **北枝が芭蕉随行中に詠んだ句には、「翁にぞ蚊帳つり草を習ひけり」(金沢)、「蟷螂や露ひきこぼす萩の杖」(こまつ) 、「子を抱て湯の月のぞくましら哉」(山中温泉)などがあります。 ***元禄四年四月出版された「卯辰集」(北枝編)には、「松岡にて翁に別侍し時、あふぎに書て給る / もの書て扇子へぎ分る別哉 翁 / 笑ふて霧にきほひ出ばや 北枝 / となくなく申侍る」とあります。****天竜寺の説明板によりますと、八月十日に訪れ一泊し翌朝北枝と別れて永平寺に向かったことになっています。私は、芭蕉は九日に天竜寺を訪れ一泊し、翌十日朝に北枝と別れ永平寺に上り一泊したのち十一日に山を下って、再び天竜寺に立ち寄り夕食をしたのち福井に向かった可能性が高いと推測しています。
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