2023年10月16日(旧暦九月二日) 大垣藩家老 元禄二年九月四日(1689年10月16日)

芭蕉は大垣藩家老の戸田如水の下屋敷に招かれ、如行等が同行しました。

如水はこの日の日記に、「桃青事門弟等ハ芭蕉ト呼、如行方に泊り、所労昨日より本復の旨承るに付き、種々申し、他者(よそもの)故、室*下屋にて、自分病中といへども忍びにて初めて之を招き対顔。その歳四拾六、生国は伊賀の由。路通と申す法師、能登の方にて行き連れ、同道に付き、是にも初めて対面。(略) 家中士衆に先約**これ有る故、暮時より帰り申し候。然れ共、両人共に発句書き残し、自筆故、下屋の壁に之を張る。 尾張地の越人・伊勢路の曽良両人に誘引せられ、近日大神宮御遷宮これ有る故、拝みに伊勢の方へ一両日の内におもむくといへり。今日芭蕉躰は布裏の木綿小袖帷子を綿入とす、墨染、細帯に布の編服。路通は白き木綿の小袖。数珠を手に掛くる。心底計り難けれども、浮世を安く見なし、諂(ヘつら)はず奢らざる有様也。」と書き残しています。

日記にある「両人共に発句書き残し」は、芭蕉の発句「こもり居て木の実草の実拾はばや」に、脇を如水が「御影たづねん松の戸の月」と付け、第三は如行の「思ひ立旅の衣をうちたてゝ」、以下「水さわさわと舟の行跡 伴柳、ね所さそふ烏はにくからず 路通、峠の鐘をつたふこがらし 誾(ぎん)如」の六吟一巡連句と、路通、如水、芭蕉の三吟三物でした。これらを芭蕉と路通が書き分けて贈ったものを、如水は壁に張ったのでしょう。日記の結びも含め、如水の芭蕉に対する好意がが感じられます。事前に如行がだいぶレクチャーしていたのでしょうか…

*如水の下屋敷は、如行宅と同じ室にあったの近くだったのかもしれません。如行は元大垣藩士で、俳号からも伺えますように如水とは位は違っても俳友だったのでしょう。 **芭蕉門弟には前川、荊口父子等多くの大垣藩士がおり、この夜も藩士である浅野源兵衛左柳邸で、木因、越人、曽良等も連座する十二吟歌仙興行が予定されていました。発句は芭蕉の「はやう咲九日も近し宿の菊」でした。


コメント

このブログの人気の投稿

2023年5月16日(旧暦三月二十七日) 芭蕉、旅立つ。元禄二年三月二十七日(1689年5月16日)

2023年10月27日(旧暦九月十三日) 谷木因 元禄二年九月十五日(1689年10月27日)

2023年10月18日(旧暦九月四日) むすびの地 元禄二年九月六日(1689年10月18日)