2023年9月12日(旧暦七月二十八日) 予、往かず 元禄二年七月二十九日(1689年9月12日)

 

「二十九日 快晴。 道明淵、予、不往。」(曽良旅日記) 芭蕉は北枝や桃妖らと、酒など提げて見物に出かけたのでしょう。

曽良が芭蕉に同行しない場合、今迄なら「病気故、不随」といった理由が記されていましたが、この日は何も書かれていません。ところが、翌日曽良は道明が淵に出かけています…

この日芭蕉が大垣の如行宛に書いた手紙が残っています。

「(略)いまほどかがの山中の湯にあそび候。中秋四日五日比爰元立申候。つるがあたり見めぐりて、名月、湖水か若(もし)みの(美濃)にや入らむ。何れ其前後其元へ立越可申候。塔山丈・此筋子・晴香丈御伝可被下候。以上 七月二十九日」と、中秋の名月かその前後かに大垣に入るつもりであることを彼地の門人たちに知らせるものでした。おくのほそ道出立前からの名月は当地でという大垣の門弟たちの願いに応えるもので、芭蕉が進んでというより曽良の強い要請によって、この手紙を書いたたのではないかと私は思います。なお、この手紙には、大垣で芭蕉を迎え歌仙にも連座することになる木因、左柳、斜嶺等の名がありませんので、別に彼らにも手紙を書いていたと推定されます。

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