2023年9月11日(旧暦七月二十七日) 温泉に浴す 元禄二年七月二十八日(1689年9月11日)

「温泉(いでゆ)に浴す。其功(効)有間(馬)に次と云。山中や菊はたをらぬ湯の匂 あるじとするものは、久米之助とて、いまだ小童也。」

おくのほそ道本文では、上記の前に「山中の温泉に行くほど、白根が嶽跡にみなしてあゆむ。左の山際に観音堂あり。」で始まり、「石山の石より白し秋の風」で終わる那谷寺の条が置かれており、実際の旅の順序と芭蕉は変えています。

宿の泉屋は総湯(現在の菊の湯)すぐ傍(写真手前右側辺り)にありました。主人久米之助は十四歳、芭蕉滞在中に桃妖の俳号をもらい弟子になりました。その時芭蕉は「加賀山中、桃妖に名を付け給ひて 桃の木のその葉散らすな秋の風」と詠んでいます。のちに桃妖は「帋鳶(たこ)切て白根が嶽を行衛哉」の句で「猿蓑」に入集することになります。

「二十八日 快晴。夕方、薬師堂其外町辺を見ル。夜ニ入、雨降ル。」と曽良旅日記にあり、医王寺(薬師堂)はじめ町を見廻りました。

金沢の句空が編纂、元禄五年に出版した俳諧集「柞原(ははそはら)」に「温泉に来る人々を伴ひて山に遊ぶも、われそれをやどす家なれば也 人毎に花をとひけり片籠(かたご)草」という桃妖の句があります。カタクリ(片籠草)の花は4月頃のことですから、芭蕉が訪れた折の句ではありませんが、桃妖は芭蕉一行を案内して回り、この日も一緒だったと思います。

同じ集に「(此句ハばせを翁山中上湯の時、やどのあるじ桃妖に書きてたぶ。まへがきありしかど、わすれ侍り) 湯の名残り今宵は肌の寒からん」という芭蕉の句が掲載されています。この句には「山中湯上りにて、桃妖に別るゝ時」という前書や「湯の名残り幾度見るや霧のもと」という存疑ながら異形句も残されていて、句空の前書を忘れたという付記も合わせて、なにやら妖しい雰囲気が漂っています…

左写真は、医王寺にある桃妖の墓碑。

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