2023年9月10日(旧暦七月二十六日) 留めるといえども発つ 元禄二年七月二十七日(1689年9月10日)

結局、芭蕉は三日間とどまって二十七日、諏訪宮祭に詣でたのち10時過ぎ、地元俳人が引き留めるのを振り切り小松を立ちます。

「斧卜・志格等来テ留トイヘドモ、立。」曽良と北枝が同行して、「山中ニ申ノ下剋、着。泉屋久米之助方ニ宿ス。」と、なぜか那谷寺には寄らず山中温泉に直行します。先を急いでいたか可能性があります。

辿った道筋は明らかではありません。おそらく北陸道を上り月津一里塚を通過、動橋から山中温泉に向かったと思われますが、四十九院・黒谷峠越えをしたのか山代温泉を経由する道を選んだのかわかりません。

左写真は、山中温泉黒谷橋の麓に立つ芭蕉堂。このお堂は明治時代に建てられたもので、陶の小さな芭蕉像が祭られています。

私は若干昔の道らしさが残る黒谷を越えるルートを進みましたが、旧道は廃止、峠の隧道は閉鎖、熊の出没情報もあり、途中で地元の方からは新しくできている「四十九院トンネル」を行くように勧められました。

ところが、トンネル入口まで来て全長1436mの表示に恐れをなしてしまい、熊も怖かったですけど、結局何とか無事に黒谷峠を越えて山中温泉黒谷橋に着きました。

左写真は、黒谷峠旧隧道。地元の方から閉鎖されているが人ひとり通れるくらいの隙間ならるかもしれないと教えられました。しかしながら大きさは十分だったのですけど、それは2.5m以上の上部にしかありませんでした…

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