2023年8月29日(旧暦七月十四日) 去十二月六日死去ノ由 元禄二年七月十五日(1689年8月29日)
芭蕉と曽良は14時くらいに金沢に着き、卯辰山麓浅野川の小橋辺りにあったといわれます宿、京屋にひとまず落ち着きます。高岡から十一里ほどありますから、馬を使ったのでしょうがなかなかの移動速度です。私は中津幡から鉄路のお世話になり金沢駅16時38分着でした。
「未ノ中刻、金沢二着。京や吉兵衛ニ宿かり、竹雀・一笑ヘ通ズ。即刻、竹雀・牧童*同道ニテ来テ談。一笑、去十二月六日死去ノ由。」(曽良旅日記)
*竹雀は小春の兄で本陣蔵宿の宮竹屋を父喜左衛門から継ぎ、小春は長兄が継いでいた本家筋の薬種商の宮竹屋の家督を譲られます。牧童は北枝の兄で、どちらも刀研師です。左の写真は、芭蕉が泊った浅野川小橋辺り。
芭蕉は一笑と会うのをたいへん楽しみに金沢に入りました。早速十五夜の今日、小春や北枝らとともに歌仙を巻こうと発句**を練っていたかもしれません。
**曽良の俳諧書留に「盆 同所 熊坂が其名やいつの玉祭」の句が残っています。同所は加賀金沢のことです。
「一笑と云ものは、此道のすける名のほのぼの聞えて、世に知人(しるひと)も侍しに、去年の冬、早世したり」(おくのほそ道) 年三十六、辞世「心から雪うつくしや西の雲」
旅に出る直前に、芭蕉が序を編者である名古屋の荷兮に書き送り、出版された「阿羅野」には一笑「蚊の痩て鎧のうへにとまりけり」など7句、小春7句入集、北枝も入集を果たしていました。
金沢は満月でした。
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