2023年8月29日(旧暦七月十四日) 金沢は七月中の五日也 元禄二年七月十五日(1689年8月29日)
快晴の高岡を発ち、芭蕉は松並木の北国街道を金沢に向かいます。
暑さは今も往年と変わりませんが、松並木の面影はなく「往還の松跡」の説明板が残るばかりです。「往還」とは江戸時代の公(おおやけ)の街道を指し、幕府の命によって並木が整備されていたそうです。
左写真:小矢部市にひと株残されていた街道の松が、ついに立ち枯れて昭和55年伐採された趾に植えられたらしい松。
石動(いするぎ)から木曽義仲が、平家との倶利伽羅合戦の折に戦勝を祈願した埴生八幡社を参拝、義仲が「牛の角に松明をつけ平家の大軍を敗走させた古戦場」と言われる倶利伽羅峠越えにかかります。旧道は「歴史国道」という名で整備されていますが、先日の大雨の為か所々崩れたり倒木により塞がれたりしていました。
おくのほそ道本文には、この間「卯の花山、くりからが谷をこえて、金沢は七月中の五日也。」といたって簡潔に記されるのみで、芭蕉は義仲には触れていません。
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