2023年8月28日(旧暦七月十三日) 快晴、暑さ甚だし 元禄二年七月十四日(1689年8月28日)

37℃の中、滑川から旧北国街道を南下、芭蕉と同じく富山には「カゝラズシテ」海沿いを進み、北前船で賑わっていた富山の港である東岩瀬から神通川、同じく北前船の港であった放生津(新湊)から庄川など大川を渡り、高岡に向かいます。

「数しらぬ川をわたりて、那古と云浦に出。担籠の藤波は、春ならずとも、初秋の哀といふべきものをと、人に尋れば、『是より五里*、いそ伝ひして、むこふの山陰**のいり、蜑の苫ぶきかすかなれば、蘆の一夜の宿かすものあるまじ』といひおどされて」(おくのほそ道)「氷見ヘ欲行、不往(いかず)。」(曽良旅日記) 

左写真は新湊大橋。水平線の上に見えるのは氷見から能登に連なる山々。大橋との間に広がる湾が「有磯海」、大橋の左手に沿って奥に延びる海岸線が「那古の浦」です。

新湊大橋には「あいの風プロムナード」と名付けられたガラス張りの歩行者専用通路が路面下に設置されています。写真中央の斜張橋主塔左にある太い橋脚のように見えるのが歩行者用のエレベーターです。この写真は富山県が現在も運航しています無料の渡船から撮ったもので、人や自転車などは橋を渡らなくとも対岸に行くことができます。

那古の浦で人に尋ねたと読めますので、芭蕉は放生津から担籠の海を見やりながら氷見行きを断念、庄川を渡り、小矢部川は渡らず左に曲がり、一路高岡に向かったものと思います。芭蕉は万葉の歌枕を見に行きたかったのですが、マネージャーである曽良がとめました。きっと須賀川や尾花沢等と同様に芭蕉と曽良は、あす望月に金沢入りする旨事前連絡していたのでしょう。

左写真は、小矢部川河口に架かる伏木万葉大橋。河口の先に那古の海が見えます。「東風(あゆのかぜ)いたく吹くらし奈呉の海人の釣する小舟漕ぎ隠る見ゆ」(大伴家持)

私は334年前の芭蕉の意を汲んで、伏木万葉大橋を渡り大伴家持が赴任していた伏木を経て、越中国分から雨晴海岸を磯伝いに歩き、「本場」の有磯海を見てきました。雨晴から高岡まではJR西日本氷見線のお世話になって、10.9㎞を20分余、240円。

写真は雨晴海岸から有磯海を隔て富山方面を望む。水平線上に見える山脈は北アルプス。

*氷見は庄川河口から三里余り、雨晴は一里半程度の距離ですので、「五里」はだいぶオーバーな表現です。 **歌枕である二上山の北に連なる山塊で、有磯海に落ちる辺りが雨晴海岸。

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