2023年8月20日(旧暦七月五日) 六日も常の夜には似ず 元禄二年七月六日(1689年8月20日)
当時今町と呼ばれた直江津*に到着、ここでも低耳の紹介状を持って聴信寺を訪ね宿を求めましたが、あいにくの忌中法要のため強いては引き止められなかったので、結局別に宿を見つけました。
聴信寺の住職も眠鷗という俳号を持ち、「夜ニ至テ、各来ル。発句有。」と曽良は書いていますように、眠鷗はじめ喜衛門(左栗)、佐藤元仙(右雪)などが宿に集まり、芭蕉の「文月や六日も常の夜には似ず」を発句に連句興行が行われました。
一説には、7月6日直江津では短冊をつけた笹を精霊の依代として飾り立てる習俗があったといいます。芭蕉はそのような行事を目撃するか、新潟でも似たような6日の行事があったそうですから、旅の途中に聞いたりしていて、この日の挨拶句にしたのかもしれません。**
*直江津は現在の上越市中央、西本町、東町等で直江津という地名は住居表示には残っていません。元禄時代の「今町」が消えたように… **そもそも「七夕(たなばた)」はいくつかの行事が合わさったものです。①中国の7月7日の夕刻に精霊棚を作って死者を弔う「七夕(しちせき)」(お盆行事ですね)、②同じく中国の牽牛・織女の伝説から技工・芸能の上達を願う行事の「乞巧奠」、③日本の棚機(たなばた)姫にまつわる行事で、村などで選ばれた巫女が、6日に水辺の機屋に入り機を織りながら神の訪れを待つという行事。(①と②を一緒にしたような行事ですけど)などが混ざり合ったものだそうです。
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