2023年8月18日(旧暦七月三日) 快晴出雲崎、夜中雨強く降る 元禄二年七月四日(1689年8月18日)

この日の朝7時頃に、芭蕉は快晴の弥彦を発ち出雲崎をに向かいました。途中寺泊より浜街道を辿り、一昨日の新潟への船からよりも佐渡島が間近に見えました。天気も良くアイの風に背中を押されながらの、快適な道中だったと思います。

「申ノ上刻、出雲崎ニ着、宿ス。夜中雨強降。」(曽良旅日記) 15時過ぎですから、弥彦から約27kmを8時間ほどかけての比較的楽な行程です。(当時は不定時法で、日の出から日没までの中間を卯・辰・巳・午・未・申の刻の六等分してますので、夏冬の一刻の長さには大分差があります。8月18日の日の出は5時1分頃、日の入りは6時34分頃で、昼間は13時間32分ほどになり、現在の定時法に比べて1.128倍くらい長くなりますから、今の時間でいうと芭蕉は9時間ほどかけてゆっくり歩いたことになります。)

わたしは猛暑の中、今にも倒れそうになりながら宿屋に到着しました。

出雲崎は、天領で、佐渡相川金山の金銀はこの港に陸揚げされて北国街道から中山道を江戸まで運ばれました。また、北前船の寄港拠点として多くの船主や廻船問屋が軒を連ね、宿場は北国街道沿いに一里近くに及びたいへん栄えた町でした。この町の大庄屋橘屋山本家の長男として宝暦八年(1758)に生まれたのが、のちの良寛でした。良寛の父は寛政七年(1795)京都桂川に入水。良寛は若くして出家していたため弟が庄屋を継ぎましたが、弟は文化七年(1816)に家財没収のうえ所払いとなり、山本家は没落します。良寛53歳の時だそうです。

良寛は今、生家跡で佐渡ヶ島を静かに見つめています。


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