2023年8月13日(旧暦六月ニ十七日) 村上城中へ案内 元禄二年六月二十八日(1689年8月13日)

芭蕉は鼠ヶ関を越え、日本海沿いの笹川流れなどの難所を避け出羽街道を府屋辺りか勝木で左に折れ山道をとり、出羽街道中村宿(現村上市北中町)経由で村上に向かいました。曽良がどこで追いついたのかわかりませんが、今朝芭蕉と一緒に中村を発ち、15時過ぎに村上に到着します。宿とした大和屋久左衛門は、現在井筒屋として残っています。

「二十八日 朝晴。中村ヲ立、(略) 甚雨降ル。追付、止。申ノ上刻ニ村上ニ着、宿借テ城中ニ案内。喜兵・友兵来テ逢。彦左衛門ヲ同道ス。」(「曽良旅日記」)

到着後すぐ城中に取次ぎを頼み、曽良の旧知と思われる面々と訪問したとのこと、ちょっと尋常でないように思えます。翌日の記事から尋ねたのは、村上榊原藩筆頭家老の榊原帯刀だったようです。帯刀の屋敷は大手門を入った右手にあったそうです。

じつは、帯刀の父「一燈公」は、曽良の旧主である長島藩主の三男にあたり榊原家の養嗣子となった人で、貞享四年七月二十九日この地で亡くなっており、その墓参に来たようです。が、もしかすれば何らかの使命を帯びていた可能性もあります。曽良の昨日二十七日の単独行動は、藩境付近の隣藩の状況を調査していたのかもしれません。

わたしは鼠ヶ関より鉄路にて1日分ショートカット、14時52分村上駅着でした。

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