2023年8月12日(旧暦六月ニ十六日) 温海を立ち、鼠ヶ関を越える 元禄二年六月二十七日(1689年8月12日)

八日前に芭蕉は「温海山や吹浦かけて夕涼」と詠んでいます。酒田の袖ノ浦を見物したときの景だと思われます。最上川河口の洲である袖ノ浦からは、日本海沿いに北は吹浦の岬、南は波渡崎の向こうの温海山が一望できました。

その温海の惣左衛門宅に泊まった芭蕉は、馬で鼠ヶ関に向けて出発します。しかし、曽良は同行せず温海温泉に立ち寄っていきます。旅日記に「翁ハ馬ニテ直ニ鼠ヶ関被趣。予ハ湯本ヘ立寄、見物シテ行。」とあります。温泉までは2km余りですから芭蕉も立ち寄ってもよさそうなものでしたが… 

この日「折々小雨」がありましたが、暑中かえって心地よく馬上の芭蕉は、さしたる難所もない温海から鼠ヶ関までの海沿いの街道を快適に進んだことでしょう。

「白川の関にかゝりて旅心定りぬ。(略)中にも此関三関の一にして、風騒の人心をとどむ。」と芭蕉が書いた三関の一つの鼠ヶ関は、古代にあった陸奥と越の国境の関跡で、義経が頼朝方に追われ佐渡に渡ろうとして果たせず漂着、上陸した地と言われています。(なんとその時義経と弁慶が泊ったという家が残されていると事で探しましたが発見できませんでした。) 

現在では山形と新潟の県境に「古代鼠ヶ関址」の場所が特定されていますが、江戸時代は1kmほど北に鶴岡藩(庄内藩)の「鼠ヶ関御番所」が設置され、「鼠ヶ関」とされていたそうです。なお、この関は近世念珠(ねず)関址と呼ばれ「史蹟念珠関址」の石碑が建てられ、木戸門の傍らに「勧進帳の本家」との標柱があります。

元禄二年四月二十一日(1689年6月8日)、白河の関をこえて奥羽に入った芭蕉は、今度は鼠ヶ関を越えて奥羽を出ました。陸奥・出羽の国で六十六日間過ごしたことになります。江戸深川を出発して九十日目のことです。

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