2023年7月6日(旧暦五月十九日) さまざまにもてなし侍る 元禄二年五月二十日(1689年7月6日)
「おくのほそ道」に清風のことを「かれは富るものなれども志いやしからず。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれば、日比とどめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。」とありますように、芭蕉は尾花沢で清風はじめ有力者にもてなされ長期滞在します。
尾花沢には、大石田の船問屋一栄(高野平右衛門)や同じく大石田の庄屋川水(高桑加助)等もやってきて親交を結びます。
二十日には二巻目の歌仙興行を行います。発句は清風 おきふしの麻にあらはす子家かな 脇は芭蕉 狗ほえかゝる ゆふだちの蓑 でした。
曽良の旅日記に五月十四日と十七日に「野辺沢」の地名が出てきます。「延沢銀山」のことで、当時採掘量が大幅に減少、事故などもあり銀山経営は順調とはいえなかったようです。岩出山からの当初のコースでは銀山を通る予定でした。全くの憶測ですが、尾花沢滞在中に曽良は何らかの使命を持って銀山に行ったのではないかと思います。片道四里弱ですから、朝早く尾花沢を発てば昼過ぎには戻ってこれる距離です。
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