2023年7月3日(旧暦五月十六日) 涼しさを 元禄二年五月十七日(1689年7月3日)

芭蕉は清風邸に到着した五月十七日早速歌仙を巻きます。清風は新庄から風流を呼ぶなど、この日の俳諧興行はおそらくだいぶ以前から決まっていたのではないでしょうか。

芭蕉が須賀川から江戸の杉風に出した四月二十六日付書簡に「(仙台)より秋田・庄内之方、いまだ心不定候。大かた六月初、加州へ付可申候。出羽清風も在所に居候よし、是にもしばし逗留可致候。」とありますように、清風とも連絡が取りあっていたようですし、その折に大石田や新庄の俳友の紹介も依頼していたのだと思います。

到着日について芭蕉は、五月中ごろ着き申すべく候とでも書き送ったところ、清風がでは十七日にと指定したのだと推測します。俳友を呼ぶ都合もあったでしょうが、それより十七日でなければならない理由が清風にありました。それは、清風が初めて芭蕉と一座したのが貞享二年六月二日(1685年7月3日)の江戸小石川屋敷での百韻興行でした。元禄二年五月十七日は西暦1689年7月3日で小石川の興行と同じ日に当たります。もちろん清風や芭蕉が西暦を知っていたわけはありません。じつは貞享二年の半夏生は五月晦日、元禄二年は五月十五日でしたので、どちらも半夏生の翌々日に当っていました。芭蕉も清風もこのことを知っていたと思います。

百韻興行の発句は、清風の「涼しさの凝りくだくるか水車*」で、その今日詠んだ芭蕉の発句は「涼しさを我宿にしてねまる也」です。「ねまる」はゆっくりする、くつろぐといった意味の方言で、地元の方の説明では寝る、横になるという意味はないとのことでした。

*「出羽の芭蕉」(小柴健一著、出羽の豪商鈴木清風を顕彰する会発行)に、本句の「涼しさ」は「延宝三年五月談林始祖宗因が東下し、芭蕉同席の百韻俳席の発句宗因『いと涼しき大徳也けり法の水』に由来。」とあり、本句は単なる眼前句でなく、談林派清風が芭蕉の俳諧が談林を超え全国に広がりますかという問いかけだったとしています。

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