2023年7月2日(旧暦五月十五日) 馬が尿する 元禄二年五月十六日(1689年7月2日)

十五日、やっとのことで尿前の関所を通過した芭蕉は、出羽街道の中山越えに掛かります。小深沢、大深沢などのいくつもの深い谷と山を上り下りしなければならない難所です。今も山道がわりと良く残っていますので、当時の雰囲気を味わうことが出します。

「大山をのぼって日既暮ければ、封人(ほうじん)の家を見かけて舎(やどり)を求む。」芭蕉は、新庄藩堺田の庄屋の家に泊まりました。

芭蕉は「大山」と書いていますが、この日越えたのは「中山」です。曽良は「堺田 出羽新庄藩領也。中山ヨリ入口五、六丁先ニ堺杭有」と旅日記に記しています。

「三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。」とありますように、十六日も一日堺田に留まっています。この時のことを詠んだ句が、「蚤虱馬が尿(しと)する枕もと」です。

藩の役人も兼ねる庄屋の家ですから、貧家のように蚤虱ということはなかったと思います。この家は今も堺田に現存、旧有路家住宅として重要文化財に指定されて公開されています。芭蕉が泊ったであろう部屋も土間に面する馬小屋も残っています。

武士や身分ある人も泊まりますから、床の間付の座敷などもあります。もっとも、芭蕉は一介の俳諧宗匠でしかありませんから、一般の部屋に泊まったと思われます。その部屋には天井板はなく、大きな茅葺屋根を支える小屋組みが露出しています。

左の写真は、寝床から芭蕉が見た景色です。昨日、芭蕉より少し早く封人の家の到着したわたしも見上げてみました。

たぶん、照明以外は334年前とほとんど同じだと思います。

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