2023年7月18日(旧暦六月一日) 新庄の「風流」 元禄二年六月二日(1689年7月18日)

 「おくのほそ道」には、新庄についての記述は一切ありません。

着いた翌日、芭蕉は風流の本家である渋谷盛信亭に招かれ、歌仙を巻きます。盛信亭は風流亭の斜め向かいにあり、新庄一の富豪でした。今は面影はありませんが、いずれも新庄市による「芭蕉遺跡」として亭跡を示す標柱が建てられています。

この歌仙には亭主の盛信は連座せず、どういう訳か風流の発句(御尋ねに我宿せばし破れ蚊や)で巻かれます。この歌仙はあまりうまく運ばず、満尾はしたものの、そのあと仕切り直しかのように改めて芭蕉は、当主の息子である柳風と歌仙途中参加ながら連衆最多の六句を詠んだ木端とで、自らの「風の香も南に近し最上川」を発句に三ツ物を巻いています。この発句の句碑*は、盛信亭跡からすぐの新庄市民プラザの前庭にあります。

*句碑の説明板は、三つ物の後に「御尋ねに」歌仙が巻かれたとしています。もしそうなら木端が歌仙途中参加が不自然になりますし、歌仙が亭主でもなく宗匠でもない風流の、本家での席にも関わらず『我宿せばし」とした異例の発句で始められ(おそらく風流が金主だったのでしょうけど…)、第三を付けた孤松がその後一句しか詠んでなく、当主の息である柳風が第五句目、執筆が六句目を付けて頓挫したようなギクシャクした歌仙進行がいかにも解せません。私は、歌仙が先、三つ物が後、説明板の順序は逆だと思います。

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