2023年7月13日(旧暦五月二十六日) まゆはきを俤に 元禄二年五月二十七日(1689年7月13日)


「二十七日 天気能。辰ノ中剋、尾花沢ヲ立テ立石寺ヘ趣。」(曽良「旅日記」) 十日間留まった尾花沢で皆に薦められ、芭蕉と曽良は山寺(立石寺)に向かいます。尾花沢より七里半ほどの距離で、途中の舘岡(今の山形県村山市楯岡)まで、清風の心遣いで馬で送られました。元禄二年五月二十七日(1689年7月13日)のことです。

途中、芭蕉はちょうど開花時期の紅花が黄色く咲いているのを見たのでしょう。一句詠んでいます。「立石の道にて まゆはきを俤にして紅ノ花」と曽良の「俳諧書留」ある句です。わたしは残念ながら蕾しか見ることができませんでした。

清風は紅や紅色染料となる紅花で財を成したといわれますが、冬雪が深い尾花沢周辺では紅花は栽培されず、少し南の村山地域が「最上紅花」の主な産地でした。紅花の色は主に黄で、紅色成分を抽出乾燥して固めたものを紅餅にして流通しました。「最上紅花」は上質で、金の10倍といわれるの程高価なブランド品でした。この「最上紅花」を一手に江戸や京・大坂へ供給していたのが、尾花沢の清風でした。なお、源氏物語の「末摘花」はこの紅花の別名です。

馬で到着した舘岡から山寺まで三里半、8時頃に尾花沢を出発した芭蕉は14時くらいに到着して、その日に山上・山下巡礼を済ませます。

山寺では、「おくのほそ道」では推敲されて「閑さや岩にしみ入蝉の声」となる「山寺や石にしみつく蝉の声」の句を詠みました。

芭蕉は、山寺から三里の距離にある山形まで行こうとしましたが、取りやめて山寺に泊まります。

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