2023年6月8日(旧暦四月二十日) 白川の関 元禄二年四月二十一日(1689年6月8日)
「心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ。」芭蕉、深川を出発して二十四日目のことです。
おくのほそ道には「卯の花の白妙に、茨の花の咲そひて、雪にもこゆる心地ぞする。古人冠を正し衣装を改し事など、清輔の筆にもとどめ置れしぞ。/ 卯の花をかざしに関の晴着かな 曾良」とあります。曽良の句は、今まで「剃捨て」、「かさねとは」の2句掲載されていますが、いずれも後に芭蕉が代作した可能性が高いと考えられますが、この「卯の花」の句は曽良の旅日記俳諧書留に「しら河」と題して「誰人とやらん、衣冠をただしてこの関をこえ玉ふと云事、清輔が袋草紙に見えたり。上古の風雅誠にありがたく覚へ侍て / 卯花をかざしに関のはれぎ哉」とありますので、自作に間違いありません。ただ、須賀川での歌仙のあとに記されていますので、白川の関で詠んだものではないようです。
芭蕉たちは、白河中町の左五左衛門を訪ね「黒羽へ之小袖・羽織・状」を預け、「矢吹へ申ノ上剋ニ着、宿カル。」矢吹宿に泊まります。私は、中町で白河ラーメンを食し、同じく矢吹に宿を取りました。
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