2023年6月17日(旧暦四月二十九日) あさか 元禄二年五月朔日(1689年6月17日)

 

「おくのほそ道」では、佐藤庄司の旧跡を尋ね、「又かたはらの古寺(佐藤一族の菩提寺である医王寺のこと)に一家の石碑を残す。(略) 爰に義経の太刀、弁慶が笈をとどめて什物とす。/笈も太刀も五月にかざれ帋幟/五月朔日の事也。」とありますが、これは福島に泊まった次の日である五月二日のことでした。


五月朔日は、二十九日郡山に泊り、明けて次の宿である「檜皮(日和田)の宿を離れてあさか山有。道より近し。この辺り沼多し。かつみ刈る比もやゝ近うなれば」とかつみを尋ね歩き、「二本松より右にきれて、黒塚の岩屋一見」した日です。石河の滝から守山宿、郡山宿の三春街道を経由した道中をカットして、芭蕉は「等窮が宅を出て五里計」とあたかも須賀川を発った日のごとくあさか山の下りを書き始めて辻褄を合わせたうえ、尋ね歩いた時間の長さを強調したかったようで、「日は山の端にかゝりぬ。」と書いています。ただ、続けて「二本松より右にきれて、黒塚の岩屋一見、福島に宿。」となっていますが、黒塚から福島宿まで七里余りありますから日が傾いてからでは到底無理な距離です…

写真は、郡山の宿から檜皮宿に向かう途中、沼を探索しながらかつみも探していた私が、富久山町福原という縁起のいい地名のところを歩ています時、普通のお家の庭でたまたま見つけた「かつみ」!!!です。

このあと、あさか山に行ってわかったのですが、1989年「おくのほそ道」300年を記念して地元の人たちが立ち上がり、「花かつみの里ひわだ」とすべく植栽したそうです。ありがたいことです。それにしても、芭蕉や恐るべし。


コメント

  1. 遅まきながら、全く知らなかったので「かつみ」について調べました。
    学名「ヒメシャガ」だそうで、明治9年、天皇の東北巡幸の際、「菖蒲に似ていと小さき花」として「花かつみ」を天覧に供したそうです。
    昭和49年、郡山市の花に制定されたそうで、「初夏の訪れを告げる幻の花」とのことですが、このあたりでは有名な花なのですね。
    万葉集に「をみなえし 咲く花に生ふる 花かつみ かつても知らぬ 恋もするかも」
    (中臣郎女が大伴家持に送った歌)があるそうです。
    昔は有名な歌人に読まれる花だったようです。

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