2023年5月21日(旧暦四月2日) 翠桃宅、ヨゼト云所也トテ 元禄二年四月三日(1689年5月21日)

昨日、裏見の滝から憾満ヶ淵を見巡った芭蕉は、午の刻、日光を発ちました。今市と大田原を結ぶ日光北街道を進み、激しい雷雨に遭い漸く玉生に着いて泊まります。「宿悪故、無理ニ名主ノ家入テ宿カル」。私は、お昼を奮発して日光金谷ホテルのメインダイニングで百年カレーと生ビール。2時くらいに出発、今市まで歩き宇都宮回りで矢板迄ショートカットして、西那須野温泉泊。

元禄二年の今日は快晴、芭蕉は辰上刻、玉生を立って大田原を経て黒羽・余瀬の鹿子畑翠桃を訪れます。この間のエピソードが、「ちいさき者ふたり、馬の跡したひてはしる。独は小姫にて、名をかさねと云。聞なれぬ名のやさしかりければ、/ かさねとは八重撫子の名成べし 曽良」です。ただ、この句は曽良の旅日記、俳諧書留にありませんから、芭蕉の創作でしょう。

天候は晴、私も、大田原を通り翠桃邸跡を訪ねました。西那須野からでしたから芭蕉よりはだいぶ早く着きました。写真は翠桃の墓(手前から3番目の卵型の石碑。手前の一番奥が翠桃と実兄の桃雪の実父鹿子畑左内高明の墓碑です。)と水田となった屋敷跡です。正面の大きな木は築山だったかもしれません。


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