2023年5月19 日(旧暦三月三十日) 五左衛門ト云者ノ方ニ宿 元禄二年四月朔日(1689年5月19日)

芭蕉は鹿沼を出発し、文挾、板橋、今市と例幣使街道を辿ります。「前夜ヨリ小雨降。辰上刻、宿ヲ出。止テハ折々小雨ス」「午ノ刻、日光へ着。雨止」。

鹿沼宿から日光鉢石宿まで七里、朝出て昼に着くんですからずいぶん早く歩くように思われますが、江戸時代の時刻は不定時法で昼の時間が長い時期は一刻が長くなるからでしょうね。

私は少し出遅れ、芭蕉のあとを追って例幣使街道を急ぎましたが、途中で突然の大雨に遭い歩行困難となり東武電鉄の助力によりまして、ほぼ同時くらいに日光に到着しました。2023年は残念ながら雨は止むことなく、ますます強く降り続きました…、ここ2,3日の暑さがうそのようです。

芭蕉らは水戸藩の塔頭である養源院へ手紙を届けます。このことが、曽良が水戸藩から何らかの密命を帯びていたのではという憶測を生みます。曽良は二十日に深川を出て二十七日の旅立ちまでの間に千住から水戸まで出向き指令を受けたのではないかといった憶測です。確かに、おくのほそ道の途中の曽良の行動や旅日記の謎の数字など、曽良は隠密であったかもと思わせるところがあるようです。(左の写真は、明治の廃仏毀釈により廃寺となった養源院跡です。東照宮美術館の右手奥に石垣のみ残されています。334年間の今日、芭蕉はここに居たのです。)

旅日記には(四月朔日)「未ノ下刻迄待テ御宮拝見。終テ其夜日光上鉢石町五左衛門ト云者ノ方ニ宿」とありますが、「おくのほそ道」では、「三十日(みそか)日光山の麓に泊る。あるじの云けるやう、『我名は仏五左衛門と云。万(よろず)正直を旨とする故に、云々」となっています。今頃、五左衛門の宿で芭蕉は床に就いたころでしょうか…


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