2023年5月18日(旧暦三月二十九日) 辰ノ上刻、マゝダヲ出。元禄二年三月二十九日(1689年5月18日)

間々田についたのは9時過ぎでしたから、芭蕉が発って一刻ほど経っていました。間々田にはかつての宿の面影はありませんでした。間々田宿は日光街道で、江戸日本橋からも日光からも11番目という、距離もほぼ18里と中間にあって例幣使が「相の榎」を植えるなど、たいへん栄えた宿場だったのですが…

が、今朝発った芭蕉の蒼い面影が、残っていました!

芭蕉は、いかでかは思ひありともしらすべきむろのやしまのけぶりならでは(実方朝臣)など「水気立ちのぼりてけぶりのごとし」と言われた歌枕「室の八島」に向かっています。

糸遊に結つきたる煙哉 / 入りかゝる日も糸遊の名残哉 などの句を詠みましたが、いずれも「おくのほそ道」には採用されませんでした。これ以外に今日は三月尽ですから、鐘つかぬ里は何をか春の暮 などの句も詠んでいますが、さすがに新暦5月18日は春の暮には無理があったようです。

もうひとつ注目したいのは、今日、 あなたふと木の下暗も日の光 と詠んでいることです。季節は明らかに初夏になっていました。この「あなたふと」は、室の八島の祭神このはなさくやひめに対してなのかもしれません。曽良の「旅日記俳諧書留」には、「糸遊に」と「入りかゝる」の句の間にこの句が書かれています。

昨日に引き続き今日も猛暑で、歩き続けるの断念。おかげで間々田での一刻の遅れを、室の八島で追いつき、新栃木回りで早々と鹿沼の宿に到着。申の上刻には湯につかることができました。芭蕉は壬生まわりで「昼過ヨリ曇。同晩、鹿沼ニ泊ル」。寝息が聞こえるようです。

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