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2023年2月12日、立春から9日  9 days from the first day of spring  距立春九天

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今日は立春から 9 日目になります。江戸深川の芭蕉は、昨年貞享五年正月には伊賀に居ました。その地でこんな句を詠んでいます。 春立てまだ九日の野山哉  立春から日に日に春らしく装いを変えてく野山を愛でて、「まだ 9 日」ということで強く印象づけている句です。「初春」と前書して「おくのほそ道」前年の旅の紀行文である「笈の小文」に収録されています。 貞享五年の暦では、立春は一月三日 * とされていましたので、一月十二日に詠まれたと普通に思われますが、一月九日説を唱え「『春立つ』は立春をもいうが、ここは年が改まる意。」と解説する芭蕉研究の大家もいます。季と言葉にことさら厳しい芭蕉がそんなわけないでしょう…  * 注:現代の計算では貞享5年 (1688 年 ) の立春は 1 月 4 日にあたるそうですが、貞享暦では 3 日になっています。   Today is the ninth day from the first day of spring.   In January last year, Basho, who was in Iga, composed a haiku admiring the fields and mountains that change their appearance day by day with the arrival of spring.  Still 9 days after spring started. This scenery of fields and mountains !  The phrase “still 9 days” leaves a strong impression. Since the first day of spring was January 3 (lunar calendar) in the 5th year of Jokyo, it is believed that this haiku was composed on January 12.  However, some scholars of Basho advocate the theory that it was written on January 9th. He explains, "' beginning of s

元禄二年(1689)一月十七日 Genroku 2nd 1.17(AD1689.2.6)  元禄二年(1689)一月十七日(農暦)

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 今日 2 月 7 日は旧暦一月十七日になります。 元禄二年一月十七日、芭蕉は伊賀の兄、半左衛門に手紙を書き、文中に「(前略)何とぞ北国下向之節立寄候而成、関あたりより成とも通路いたし、(後略)」(北国行脚の折に立ち寄るため東海道関宿あたりからでも兄の元に行って)とあります。 このことから、一月十七日以前に、江戸から奥州、北国をめぐり大垣から桑名と辿った「おくのほそ道」のコースを芭蕉は決めており、そのことを伊賀の兄も知っていたことが窺えます。昨年貞享五年歳旦句を芭蕉は江戸の嵐雪に送ったように、今年は江戸から伊賀の弟子たちに歳旦句を報じているに違いありません。その中で更科の旅を語るとともに、次に予定している長大な旅の計画をいち早く披露していたのだと思います。 (*注:「今栄蔵『芭蕉書簡大成』や尾形仂ら『定本芭蕉大成』で元禄2年閏1月頃と推定されている猿雖宛書簡が、『詳考奥の細道』に紹介している1月中のものであるならば、ここでいう江戸からの報に該当する可能性が高い。)   芭蕉はおくのほそ道に、「やゝ年の暮、春立てる霞の空に、白川の関こえんと、そゝろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取るもの手につかずと」と書いています。当時の暦では一月十五日が立春でしたので、十七日には芭蕉はだいぶそわそわし、もしかしたら焦っていたかもしれません。 半左衛門邸: 芭蕉生家        (上写真共。左平面図は伊賀市HPより引用の上一部加筆 ) T oday February 7th is January 17th in the lunar calendar. On January 17, Genroku 2, Basho wrote a letter to his brother Hanzaemon in Iga.   In the letter, he said, "When I travel to northern countries , I want to stop by even from around Sekijuku on the Tokaido." By this sentence, before January 17, the course of “ The narrow to Oku'', which t

昨年貞享五年正月  Last year Jokyo 5th New Year 去年貞享五歳新年

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2023年1月31日は旧暦の一月十日になります。貞享五年*(1688年)一月十日、江戸にいる弟子の嵐雪に伊賀上野の芭蕉から手紙が届きます。歳暮吟  ふる里や臍の緒に泣く年の暮れ  歳旦吟  二日にもぬかりはせじな花の春  が記されており、嵐雪は「正月十日伊賀よりきこえ侍る」と前書し自らの編になる選集「若水」に掲載、同年春上梓しました。 芭蕉は、前年十月二十五日に江戸を発ち、十二月下旬伊賀に帰り貞享五年正月を上野城下の生家とされる兄半左衛門宅で迎えました。 久しぶりの事でもあり「空の名残惜しまんと旧友の来たりて酒興し」「酒飲ミ夜ふかしして」「元日はひるまで寝て」「明けぼの見はずし」「雑煮食ひはずし」た結果、大いに反省した歳旦句を詠み、嵐雪に書き送ったのでした。 それにしても、裕福でない芭蕉がわざわざ飛脚を仕立てたとは思われませんので、上府する誰かに預けて届けたのでしょうが、江戸まで1週間しか掛かっていないのには少し驚きます。  January 31, 2023 (January 10 of the lunar calendar). On January 10th, 5th year of Jokyo(AD1688), a letter from Basho arrived at his disciple Ransetsu in Edo. A Year-end haiku: My birth place, I see my umbilical cord and cry at the end of the year. A New-year haiku: On January 2nd, I hope I don't fail again. Spring of Flowers . In these haiku, Ransetsu   prefaced them, saying, “ It arrived from Iga on the 10th of the New Year. ” And he recorded these two haiku in his anthology "Wakamizu" and published it.   Basho left Edo on October 25th of the previous yea