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1688年3月5日 芭蕉参宮 Basho visits Ise Jingu Shrine 芭蕉參拜伊勢神宮

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昨年、貞享五年(1688)2月初めから半月あまり伊勢に滞在していた芭蕉は、二月四日(新暦では3月5日)伊勢神宮に参拝、  何の木の花とは知らず匂ひ哉  という句を詠みました。「笈の小文」には「伊勢山田」と前書されていますので、外宮でのことだったと思われます。「何の木の花」は梅の花と解釈されていますが、この句のひとつ前に「さまざまのこと思ひ出す桜かな」という伊勢から伊賀に戻って詠むことになる花見の句が配置されています。これは、花が桜とも他の花ともとれるような曖昧さを持たせる芭蕉の意図で、そもそもこの句が西行の「何事のおはしますをばしらねどもかたじけなさに涙こぼるる」の和歌を俤としており、ありがたき伊勢の神と西行への挨拶、敬慕を強調する ためだと考えられます。 「笈の小文」では、この句の少し後に「神垣のうちに(中略)ただ何とはなし、おのづから梅一本もなくて、子良の舘のうしろに一本はべるよしを語り伝ふ」として、「御子良子の一本ゆかし梅の花」とあります。また、二句のあいだ中ほどに「梅の木に猶やどり木や梅の花」という句を配し、「桜」ー「何の木の花」ー「梅の木、やどり木、梅の花」ー「梅の花」とちょっと不思議な配置となっています。芭蕉本人の意図がどうかは、「笈の小文」そのものが草稿として残されたものですから、疑問はありますけど。 なお、元禄二年九月(新暦10月)に遷御予定の式年遷宮の立柱祭や上棟祭が、ちょうど1年半ほど前にあたるこの頃執り行われていたはずです。もしかしたらこの神事見学の目的もあって伊勢に出向いた可能性があるのではないかと思いますが、芭蕉は何も書き残していません。平成25年10月の遷宮の際の立柱祭は内宮は前年の3月4日、外宮3月6日でした。 (伊勢神宮HPより) I don't know what kind of tree Flowers are,  It's a strange scent Basho wrote this haiku while visiting Ise Jingu on February 4, of Jokyo 5th. (AD1688.3.5). "Flowers" are interpreted as plum blossoms, but in the "Oi no Kobumi" t